不動産の保証金は高い

私は美容室向けの化粧品販売で600万円の貯金がありました。これでエステティックサロンをオープンしようと決心しました。25歳だった私に600万円は大金でしたから、これだけあれば何でもできると思い、不動産屋に飛び込みました。「どんな商売ですか?」「エステティックサロン?」「エステティックってどんな仕事?」から始まりました。当時、ほとんどの人がエステテイックを知りませんでした。「何坪の物件をお探しですか」と聞かれた時には、「坪」がどのくらいの広さか検討がつかず、破れかぶれで「この事務所くらいの広さです」と私が答えたために、15坪の物件を探すことになりました。「大阪の難波で15坪というと、保証金が1500万円位です」と言われた時は、訳が分からず、「それはいったい何のことだろう」とびっくりしました。暑い夏の盛り、その不動産屋の社長は扇子をバタバタ仰ぎながら、「そりゃあ、下村さん、600万円では無理でっせ― 難波にはそんな安い物件、ありまへん」と言うのです。「では、もう少し安いところで」と探してもらいましたが、どんどん繁華街から南下して大阪球場のあたりでも保証金が780万円。それが、その不動産屋の中で一番安い物件でした。初めての物件探しは、あまりにも手持ち資金が少なく、惨めで心細いものでした。

 

 

しかし「探せばきっと安い物件があるはず」と思い直し、嫌がる不動産屋を連れて大阪球場の裏を歩き回っていると、古びたマンションの2階にテナント募集の看板がありました。飛び込んで値段を聞いてみると、22坪で保証金200万円、家賃H万円― そこは10年以上倉庫として使われていた部屋でした。「やったあ― ,し」なら借りられる」と大喜びで契約しました。有閑マダムが来ると想定していたサロンは、とんでもないボロビルでした。ビルの前に「立小便するな」と書いてあるような所。サロンの名前はエステロイヤルシャトーとか、グランドパレスなどを考えていましたが、とてもそんな雰囲気ではありません。総合エステティックサロンにするつもりでしたが数種類の機器を買うこともできません。そこで私自身、 一番興味のある痩身一本でやろうと決め、百歩譲って、「やせる専門店シェイプアップハウス」と命名しました。私自身が太っていたので、太っていることの悲しさや痩せたいと願う女性の気持ち、痩せられない自分自身の弱さへの嫌悪感など、ほとんどのことを経験していましたから、お客様の気持ちがよく分かります。お客様といつも一緒の気持ちでいることができて、「やせる専門店」でスタートするのが一番いいと思ったのです。それまでにも、エステティックスクールで美顔や痩身も学んでいましたが、オープンまでにはより専門的で東洋的な療術なども勉強しました。